茅手の仕事も、まさにそうなのです。自分の葺き方がこうだから、親方から習った葺き方がこうだからと、修理前の屋根の葺き方や形を無視しての工事も多く観られる。極端な話だが、飛騨の茅手が東北の茅葺き民家の屋根を葺いたらどうなるだろう?スーツに下駄を履いたようにバランスの悪い家になってしまうと思うのです。
文化財を保存修理していく役目は茅手さんも宮大工の保存修理と同様だと思うがどうだろう?屋根の丸葺きをしたら別物の民家になってしまったのを、私は何度も見てきました。東北では、秋田県立博物館分館・奈良家がその典型です。奈良家は入母屋の部分が前に垂れてきて、独特な雰囲気の両中門の民家だったが、数年前の葺き替えで、その入母屋の屋根は何の変哲もない入母屋の屋根に成ってしまった。何処の業者が葺き替えたのだろうか?大方の察しはつくが、勉強不足か技術の伝承が上手くいってないか、自分達の都合の良いように仕上げた?と思うのが順当だろう。
2006年、葺き替えが終わった、福井県丸岡の千古の家、坪川家も全体としてはマズマズだが、角屋部分の棟の取り方が葺き替え前の写真と比べて、話しに成らないお粗末な出来だ。若い茅手さんが一生懸命に作業をしていたが、これまた先輩の茅手の方達が目で見える仕事を残してくれても、それと同等の仕事が出来ないのが残念で成らない。詳細は坪川家のパンフレットと今回、仕上がった棟仕舞を比べれば、一目瞭然なのです。今年の四月には福井県永平寺まで行く用事があるので、葺き替えが終わり足場の取れた坪川家の写真をご覧頂き解説してみようと考えている。
自分達が親方から伝承された技術とは別に、文化財であれば、前回の解体修理報告書が必ずあるはずなのです。それらの資料を充分確認して、作業を進めないと、たとえば関西の棟仕舞は皆、美山型になったり、東北の茅葺の保存民家は北上川流域や最上川流域の葦になってしまうのではないか?、茅〔ススキ〕には茅の良さが有り、葦〔ヨシ、アシ〕には葦の良さがある。日本中、茅手の多い地域の葺き方や棟仕舞になってしまう事を私は危惧する。
現にある地域での屋根の葺き替え工事で、棟仕舞の仕方や屋根の仕上げ方で文化庁の役人ともめて、数棟の屋根葺きをする予定だったのが、自分はこの葺き方しか出来ないと、1棟で止めてしまったと聞いた事がありますが・・・どうでしょうか?前にも書いたように、文化財を修復するのは、宮大工だけでは無いのです。私も民家関係の本は、かなりの数を読みましたが、茅手さんも、県外での仕事が多く成って来ているとしたら、各地の棟仕舞や屋根仕上げ方や特徴を勉強しないと、現在のハウスメーカーの建築の様に、断熱材の量が違うだけの日本中、同じ顔の住宅になってしまう事を危惧するのです。
茅葺きの民家も地方色の無い屋根になってしまう様な気がして成らない。私のとり越し苦労であって欲しい。
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